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撥雲館道場について


 撥雲館道場では戦前から今で言う防具を着けての剣道の稽古が行われていましたが、近藤勇五郎先生より直接指導を受けていた八代目の加藤先生によれば、当時の稽古は「撃剣」といわれるように現在の剣道より激しく、竹刀を捨てての組み打ちになることが多かったようです。組み打ちになったときに有利なように小手の紐は緩めにしておき、直ぐに外せるようにしていたとのことです。逆に胴の後ろの紐が緩いと組み打ちで倒されたときに胴の下を持ち上げられ首を絞められるので、この紐はしっかりと縛っていたと聞いています。

 このような撃剣の稽古が主に農閑期の3、5、8、10の日に行われ、ある程度の腕になった者に個人的に理心流の形などを教えたそうです。理心流の形を教える場合も現在のように衆目の前で手取り足取り教えるのではなく、一人囲炉裏の前に呼ばれ灰に火箸でかかれた人型を示し口伝により伝授する方法がとられたそうです。一度説明されるとその灰はきれいにならされてしまうため覚えるしかなかったと聞きました。また加藤先生は昭和3年、18歳で目録免許を受けられ「18歳で目録免許を受けたのは近藤勇以来だ」と話されていました。

 勇五郎先生から「俺が死んでも線香はいらない、竹刀の音だけは絶やすな」と言われていた加藤先生は、戦後の一時期柔道、剣道などの武道が禁止された時期もありましたが、武道教育復活後、剣道の指導を再開しました。しばらくは剣道の指導のみでしたが、その後天然理心流の復活に取り組み、平成の天然理心流の基礎となりました。加藤先生が天然理心流の指導を再開した当初は、独特な太い木刀を用いた表木刀がメインだったので手の内のしっかり出来た剣道三段以上の者にしか教えていませんでした。

撥雲館道場
  近藤新吉先生の葬儀(丸印が加藤先生)
(撥雲館道場内)


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